鎌倉時代〜吉川元春没

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概要

吉川家の家系は藤原氏で、駿河の入江氏から分家した吉川経義が始祖である。 駿河入江庄吉川邑に居館を構築して1185年から定住している。
1189年、源頼朝の奥州、藤原秀衡討伐軍に参陣、、 1200年、梶原景時が鎌倉幕府2代目将軍、源頼家に謀反を企て一族を引き連れ京都に至らんと駿河吉河邑付近の狐ヶ崎を通過していた時に、 これを討ち手柄を立てた
歴代の当主は武門の誉れ高く、徐々に領地を拡大した。 約350年後、毛利元就の次男である元春は吉川家の養子に入って毛利家を支え、 戦国時代末期には毛利本家は120万石、吉川家は12万石までの大勢力になった




参考文献

岩国市史

岩国徴古館 岩国市史編纂所 編集
岩国市 昭和32年(1957年)6月 発行(非売品)
発起人  第三代岩国市長 津田弥吉
発行者  当時の岩国市長 土肥京一
編集者  瀬川秀雄(文学博士)、桂、村上、香川


注 岩国市史は現在でも岩国徴古館 岩国市史編纂所が編集・発行している。参考にした岩国市史は昭和32年発行のもので、 岩国市の歴史は「岩国市史」以上に詳しいものはない。 本出版物は行政機関が編集したもので、岩国市の礎を築いた吉川家の歴史や行政を後世に伝えており、岩国市民への 公告の意味があり、また著作権の記載がなく非売品である。発効日から50年を経過しており原文を掲示します

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