錦帯橋創設のいきさつ

 周防岩国は関が原戦後の領地分配で
吉川広家が山陰の月山富田城から移封された
辺境地で、錦川が頻繁に洪水を起こして
沼、浅瀬、葦の広がる原野でした。
防御優先で3方向川に囲まれた横山の地に
初代岩国藩主吉川広家は城郭を
構築する都市計画を立て、
錦川の対岸に中下級武士の
屋敷、商人の町屋の地域を設け、
錦川を渡る橋は城下町の幹線道路
接続する計画とした。しかし、
当時の橋は洪水で尽く流失した。
約60年以上、創意工夫を凝らして
岩国藩3代藩主吉川広嘉が
川に柱を建てない
独特のアーチ構造
の錦帯橋を
1673年創建しました。
以降約20年おきに木造橋梁は架替え
現在まで約350年間、脈々と継承されており、
近代アーチ構造橋梁原点の一つです。
錦帯橋は生活基盤の中心であり、同時に
岩国地区文化の中心になりました

木造アーチ構造

 まっすぐな棒を水平に置いて荷物を置くと
下に曲がります。棒を円弧形状に上に反らし、
上に荷物を置くとその力は、棒を圧縮する
力になり、棒の両端で横方向に開く力になります。
両端を固定すると強固な構造になります。
曲げると折れる棒でも、アーチ状にすると、
垂直柱のように圧縮だけになるので折れません。
17世紀の日本では、そのまま使える橋はなく、
錦帯橋は突然の閃きで、刎橋のように両端から桁を延ばし
頂点をアーチ構造石橋のキーストーンのように大棟木で
結合することで、180度の半円ではなく60度の円弧で
スパンが長く、かつ荷重に強い構造を
実現した世界初の木造アーチ構造の橋です。
同時に河床下に3層の石畳を敷き洗掘を防いでいます。
276年間、錦川の洪水に耐えた日本初の流れない橋です
独創的な技術で、かつ当時の文化に大きな影響を与えており
イコモスと文化庁との奈良協定では建設当時の建造技術に
忠実な木造建築は文化財として価値があると認めています。
錦帯橋は世界文化遺産基準@、A、C、Dを満足し、
近代アーチ構造橋梁の発展に大きな影響を与えています
公式サイト
 (一口メモ) 17世紀以前の橋は洪水で流失したが、技術的ルーツが無く突然現れた天才的な閃きで、橋脚間のスパンが長く、 1000人乗っても安心な強靭性、耐震性があり、かつ橋脚前後の河床下に3層の石畳を敷くことで洪水にも強い稀有な傑作が生まれました。 世界初の木造アーチ構造の橋で、近代アーチ構造橋梁出発点の一つです。

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