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錦帯橋の話(目次)
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錦帯橋の話
その3 (31 - 46頁) / 全111頁
岩国中央図書館所蔵
品川 資(元岩国市錦帯橋建設局次長) 著述
1954年10月発行
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錦帯橋の話 第二編
一、橋体架設の順序及び方法の概要
一、拱橋(第二、三、四橋)の場合
1.現寸図の作成 既存の現寸型板を使い地面の上で現寸大の設計図面を作成し、型板を見直す。
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2.仮組立 型板を使って部材を加工して地上で仮組立する。
3.足場架設 仮組立と併行して現場に足場の架設を行う。
4.水平木の取り付け 高さの基準を明確にするため水平木を固定する
5.拱肋架設(組立)
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(一)部材の運搬
(二)架渡
両側から一構格・5列ごとに張り出し、中央において棟合わせした後、鍄,巻金を取り付け架渡が終了する
足場の水平木との距離、事前に張った中心線との狂いがないように細心の注意を払って施工する
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6.橋体の仕上げ
鍄,巻金を取り付けで部材を固定した後は、仮支木を外し、補強部材の取り付け、蔀材、橋板、高欄の仕上げに移行する。
注1 現寸図の作成により仕上げまで概ね40日〜60日である。出水を避けるため10月中旬から翌3月までが通常の後期である。
注2 隔て石は両側の木橋から圧力がかかって安定するが、工事中は片方からだけのことがあるので支柱を立てて仮手当てをする
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注3 拱肋は振動に堪え反発する弾力性を保持するため釘を使用していない。
二、柱橋(第一、五橋)の場合
在来工法で行うため、現寸図の作成や仮組立はない
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架渡の為に足場を組むことも無い。
一脚は杭三本からなり五脚を建て付け、上部に梁、5列の桁を架込む。杭を建てるときは、事前に三本の杭に貫を通しておき、 現場でこれを吊り上げて受け石にはめ込む。 、
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二、錦帯橋は如何にして維持保存されてきたか
錦帯橋は野外にさらした木材であり、修理や架け替えに多額の経費がかかる。
一、経費の支出方法
1 藩政時代
藩士は役・禄高別、領民は家業別に、橋出米を出すことにした
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(一)武家は禄高10石につき7合7勺
(二)商家は、店1軒につき5合から3合7勺2才
(三)農家は、徳米1石につき、2升7合五勺
とした。この結果、毎年約97石が積み立てられたが、後半になると不足分は吉川家の財源から補填するようになった。
二、廃藩後
明治以降は岩国町が負担する事になった。その他、山口県からの補助、旧藩主吉川家からの寄付、岩国保勝会の募金などがあったが 経費を満たすほどではなかった。
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大部分は岩国市の負担で賄ってきた。
注 岩国保勝会は明治四十二年、吉川元光氏を総裁に発足した。岩国保勝会が保有する固定資産の大部分は旧藩主吉川氏の寄贈によるものである
二、架け替え、橋板の張替え、および修理工事
藩政時代は、御作事組という係りが橋の維持管理を行った。 橋板の張替えは12年から17年の間隔、木橋の架け替えは20年から47年の間隔で行ってきた。
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1.工期
2.架橋及び橋板張替え工事の機構(組織)
3.工事費および労力
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各年代の工事費と労力比較。ザックリだが架け替え工事費は昭和27年当時の時価で約4000万円、平成の時価で約20億円程度であろうか。
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4.架け替え、敷板用木材の調達と材種の変遷
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5.古文書の誤記について
6.競争工事ご法度のこと
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競争工事にすると工期は短くなるが手抜き、雑な工事が多くなるので禁止した
三、橋の保護施策
藩政時代は、
橋の両側に橋守の家を建て常に監視した。また、錦帯橋の上流・下流20間の漁業を禁止した
廃藩置県後
橋守を廃止。
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(一)山口県と岩国町の連名で、錦帯橋利用上の注意事項を高札にして掲げた
(二)大正4年、臥竜橋が国道になり錦帯橋は、岩国町管理の町道になり、錦帯橋管理委員会を設置した
(三)保護運動
(四)名勝指定
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(五)錦帯橋風致地区の制定
(六)錦帯橋の上流・下流60間を特別保護地域に制定
(七)河床敷石修復を内務省に陳情
(八)国宝編入運動が始まる
四、橋の清掃
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