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錦帯橋の話(目次)
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錦帯橋の話
その6 (93 - 111頁) / 全111頁
岩国中央図書館所蔵
品川 資(元岩国市錦帯橋建設局次長) 著述
1954年10月発行
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錦帯橋の話 第二編
6.錦帯橋の振動と荷重負荷力
中央の3拱橋は通行時に多少ゆれるという話があり、早稲大学が化学的な検証を行った
創建以来最大の負荷は6000人であり、1拱橋あたり1000人の重さに耐えられるか精密な実験を行った。 70トンの重さでも安全と証明された。
四、錦帯橋渡り初め史
一、明暦三年(1657年)の渡り初め
単ページ 93
二、延宝元年十月、創建時の渡り初め
1.式典、行事
2.祝宴および論功行賞
単ページ 94
三、延宝二年11月復旧時の渡り初め
四、その後の架け替え時における渡り初め
単ページ 95
五、昭和二十八年再建時の渡り初め及び完工式
1.渡り初め式
単ページ 97
2.完工式
単ページ 97
単ページ 98
五、錦帯橋災害事故要録
一、延宝元年、創建当時
二、延宝二年
1.創建の錦帯橋流失
2.復旧工事中の災害
単ページ 99
三、延宝四年の橋脚石垣の損傷
吉川広嘉公が実地検分し、直後に河床敷石の工事施工を命じた
四、元禄十六年(1703年)、柱橋工事中の被災
単ページ 100
五、延享元年(1744年)、錦見側柱橋の流失、および復旧時の事故
六、宝暦10年(1760年)、架け替え工事中の人身事故
七、宝暦十二年(1762年)の台風による高欄倒壊
単ページ 101
八、安永七年(1778年)、河床敷石損傷
九、寛政八年(1796年)、架け替え工事中の事故
十、昭和十六年、河床敷石損傷
洪水で、敷石数100個が流失した 十一、昭和二十五年九月の流失
十二、再建工事における災害、および事故
単ページ 102
十三、昭和二十九年七月、錦見側柱橋及び、河床敷石の被害
第三、第四橋脚下、敷石多数流失
単ページ 103
六、錦帯橋顕揚史
一、創建後、藩政時代は造作仕法は秘密
二、文化、文政の時代より、制約が緩和された。
三、明治五年、皇室が墺太利(オーストリア)の博覧会に錦帯橋図を展示した
単ページ 104
四、明治時代は日清、日露戦争があり政情不安定得あった。
五、大正11年、錦帯橋は名勝に指定された
六、大正十三年、錦帯橋創建二百五十年祭り開催
七、近畿地方よりの観光客増加
八、海外に対する錦帯橋の宣伝工作
単ページ 105
九、昭和八年、関門日日新聞社主催の山口県観光地の人気投票で1位になった
十、昭和二十五年、毎日新聞は全国観光地百選を計画し、建造物の部門で1位になった。
十一、昭和二十八年、錦帯橋完成記念切手発行
錦帯橋の名勝たる由縁は、橋の構造だけでなく環境の美もあるので、大規模な自然公園化と、外人観光客受け入れ態勢整備が急務である。
単ページ 106
錦帯橋史料とその保存
単ページ 107
一、御用所日記(岩国徴古館)
二、橋廻記(岩国徴古館)
三、算用所日記(岩国徴古館)
四、岩邑年代記(岩国徴古館)
五、吉川家請(岩国徴古館)
六、吉川家史梗概(吉川家)
七、厳邑志(岩国徴古館)
八、岩邑若干集
九、玖珂郡志(岩国徴古館)
十、錦川志(岩国徴古館)
十一、厳国沿革志
十二、稿本錦帯橋
十三、錦帯橋構造図(岩国徴古館)
十四、周防岩国錦帯橋事跡(岩国徴古館)
単ページ 108
十五、錦帯橋沿革(岩国徴古館)
十六、錦帯橋国風景記(岩国徴古館)
十七、名勝錦帯橋設計書(岩国徴古館)
十八、錦帯橋の沿革と構造(岩国徴古館)
十九、岩国錦帯橋について(岩国図書館)
二十、錦帯橋架設始末(岩国図書館)
二十一、錦帯橋に関する詩歌、書画幅類(岩国徴古館)
以上は昭和二十五年九月、錦帯橋流失前で、
以下は再建後の著述書である
一、錦帯橋の構造(岩国徴古館)
二、錦帯橋史(岩国徴古館)
三、名勝錦帯橋災害復旧工事精算設計書(岩国徴古館)
四、錦帯橋再建記
単ページ 109
次の再建工事関連類が岩国徴古館に保存された
一、図書(岩国徴古館)
二、各種写真(岩国徴古館)
三、各種標本(岩国徴古館)
四、橋体工事用具(岩国徴古館)
五、旧橋部材(岩国徴古館)
六、工事中発掘された公庫品(岩国徴古館)
その他、16ミリ記録映画11巻(岩国市役所)
財団法人文化財協会撮影映画(同、法人)
単ページ 110
単ページ 111
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