−−−1952年11月−−−

Menu

HOME流れない橋→ 錦帯橋の構造

錦帯橋の構造

岩国中央図書館所蔵
岩国錦帯橋建設局顧問 工学博士 青木楠男 1952年11月講演速記録


注 出版後50年経過して著作権は消滅しているため全文を掲示します

   操作法:ページ縮小図を押すとページが拡大します。拡大後、周辺の黒い部分を押すと閉じます。

要旨

本冊子が書かれたのは1952年である。1950年9月キジヤ台風で創建以来276年ぶりに橋脚の一部が崩れた。 岩国市は急遽、岩国錦帯橋建設局を編成して再建工事を行ったが、外部から青木楠男工学博士と佐藤武夫工学博士を招いて技術指導役をお願いした。 当時、青木博士は早稲田大学理工学部の主任教授で、佐藤博士は岩国高校出身者で早稲田大学教授であった。
本冊子は、青木教授が1952年11月8日岩国市商工会館で行った講演の速記である。

  • 表紙

  • 完成した錦帯橋
  • 単ページ 写真1

  • 裏側から見た錦帯橋の橋桁
  • 単ページ 写真2

  • 工事中の錦帯橋全景(四橋完了)
    工事中の錦帯橋全景(中央の架橋工事着手)
  • 単ページ 写真3

  • 280年の歴史を持つ錦帯橋が昭和25年9月14日午前9時46分、キジヤ台風の洪水でで押し流されて2年有余の年月がたちました。 名橋再建のためあらゆる努力が払われ、明春開通の状況になり御同慶に堪えないところです。 錦帯橋の構造について変更した点と踏襲した点について解説します

    復旧方針

    昭和26年1月27日東京において、建設省、文部省文化財保護委員会、山口県、岩国市当の関係者、参議院議員、学識経験者等、 30数名の委員会で討議しました。
    席上、近代の車社会で役に立たない原形復旧に対して激しい反対が有り鉄筋コンクリートにすべきとの声が高かったが、錦帯橋が 日本の文化財として深い意味を持ち、かつ観光に重大な影響があると主張して認められた。
  • 単ページ 1

  • 昭和26年1月29日付けで建設局河川局長並びに道路局長から以下の措置が通達された。
    (1)井筒長については実施にあたり地質調査の上決定し、なるべく深くすること
    (2)井筒耕造については更に検討する
    (3)橋体の橋脚への嵌めこみ部については腐蝕せざる構造に留意すること
    (4)高欄は古式に倣うよう考慮すること
    (5)検査額を超過する工費は別途負担のこと
    復旧工事はこの線に沿って設計施工された

    一般形状

    流失前の錦帯橋は総長195.7mで、左岸よりから37.0m,35.61m,35.10m,34.96m,34.8mと不揃いであった。 これは意識的に施工したわけではなく、誤差等の積み上げで生じていると考え、均等にすることにした。
  • 単ページ 2

  • 橋脚上部幅員を全て4.6mとし、左岸より34.8m,35.1m,35.1m,35.1m,34.8mとした。総長193.6mと左岸側が2.4m減少したので、左岸広場を拡張した。
    次に4基の橋脚は微妙に寸法が異なっていた。再建に当たっては崩壊を免れた橋脚を正確な測量を行い、これで統一する事にした。
    また、橋脚の向きが4基で異なっていた。洪水の時流れの方向が違うのだとの伝聞があったが、橋脚基礎に10mの鉄筋コンクリート井筒を埋め込むので 安全上問題ないため、橋梁中心線に直角に築造することにした。
    橋脚の高さについて、昭和8年記録された最高洪水水位9.46mに対して中央のアーチ橋起点は1.0m水没しているので、中央橋脚を約80cm、両岸橋台を 50cm嵩上げした。
  • 単ページ 3

  • 橋脚橋台(基礎)

    記録によると創建時の基礎は、左右に歪曲した梯子を組み合わせた形状と伝承されているが、実際に掘り起こすと、第2橋脚の基礎は松の丸太を組み合わせた亀甲型であった。 河床地下2〜2.7mにあり、最渇水期でも水が流れているので280年間、水中にあったと想像される。 松の杭は鏡面1〜4cm腐っていたが内部は健全であった。
  • 単ページ 4

  • 以上のように極めて簡素な基礎の上に石積みの橋脚を築いていた。280年間、其の形を保ち得たのは河床に張り巡らされた川中敷石の 保護によるもので、錦川の河状が安定していたと想像される
    古文書によると、川中敷石の工法は「下層大石、中石、小石交合捨石、中敷石は荒敷石上、中、下交合敷込、上敷石は 上、中、下の石交合中くぼに敷石生松乱杭打廻し。敷石はせり込み植石を専とす」とあり、相当念入りに施工している。 然るに、昭和25年9月の錦帯橋流失は、戦争中錦川の安定が崩れ、これに伴い河床の剣道が顕著になった事が原因で、人工的な原因である。

    架橋地点の地質

    橋脚基礎に従来工法を用いることは百年の計では無いのは明らかなので、近代工法の井筒基礎を採用する事にした。
  • 単ページ 5

  • 井筒の長さは安全確保には計算上6mであるが、錦川に既設の橋が8〜10mなので、安全を期して10mとした。
    (注、井筒10mの鉄橋はルーズ台風の時でも無傷だった)

    井筒基礎の構造

    橋脚は底部で、幅員約6.7m、長さ約13.0mである。この底部を一様に受けるだけの基礎は必要ないので井筒基礎は 短径4.5m、長径9.5mの小判型とし、鉄筋コンクリートの厚さは0.6m、中央部に0.5mの隔壁を設けた。
  • 単ページ 6

  • 井筒上端は、橋脚底部を支持するため幅7.1m、長さ13.4mに拡大して幅1.3m〜1.95mの棚状突出部を取り付けた。 井筒は沈下後、底に厚さ1.5mの水コンクリートを施工し、中間部には砂利を充填し、上部1.5mにコンクリートを施工し、この上に橋脚を構築した。 円形井筒を2基沈下させ、上部に基礎藩コンクリートを施工し、其の上に橋臺躯体を積み上げた。

    橋脚躯体の構造

    旧橋脚躯体の鏡面石積には築城石垣の方法が採られている。大きな石を安定よく配置し、隙間には扶石を石垣表面より3cm内側に押し込んで堅固に積み上げ 合端は漆喰で密着させている。この表石垣の内側に躯体の高さの2/3まで空積の裏石垣を積み上げ、内部の隙間には大小の栗石を堅固につき固めている。 躯体の中央上部には木橋の端部を受けるために厚さ45cm、高さ約2.7mの隔石が5本埋め込まれ、これが5本の橋桁を支えている。
    再建計画では、基礎井筒の上に詰めたコンクリート上に底の幅員3.3m、上部2.0mのコンクリート橋脚心壁を築き、この頭部には木橋の端部を 受ける為に拱軸線に直角な面を儲け、ここに鋳鉄製の支援金物を取り付けた。
    躯体の表面石積は昔の外観を残すため、元の石材を集めて使用し、不足分は、旧石材の採取石山と伝えられる岩国山の石材を使用した。 石積の方法も旧態を残すよう特別の注意を払った。 橋脚心壁と橋脚表面石積との隙間60cmには石積とコンクリートを詰めた。
  • 単ページ 7

  • 橋脚表面石積の合端目地は、白セメント:赤土真砂、1:3の割合で混合したモルタルを使用した。 橋脚躯体頂部は形状を在来のものに似せてコンクリートで造り、表面は旧錦帯橋に倣い表面石張りにした。
    アーチ橋の再建に当たっては、腐食防止の観点から、起拱点を約1m短縮した以外は在来工法と同じである
    はね橋の構造概要は、橋面幅員は5m、有効幅員は4.25mで、その下に5本の拱肋(きょうろく:非面状の複数アーチ部材で構成されるときの構造部材)を 1.044m間隔で5本配置している。支点間は35.1m、拱矢(きょうや:アーチの高さ)は約4.7m、拱矢比(きょうやひ:スパンを拱矢で割った値)は7.5 (完全な半円なら2なので、平べったいアーチ)である。 拱肋は、幅17cm、高さは74cm、支点間の1/8点において約1.00mである。(これが5列、11本せり出して半アーチを造る)
    (参考)岩国市錦帯橋課HPを参照
    半アーチに11本の桁が順次、楔を挟んで重なり拱肋を形成している。 各桁の先端には鼻梁を架け、次の桁を張り出している。(これら複数桁は全て巻金で縛り付けているので、先だけが浮いて落ちる事はない)。 桁の末端は後梁で拱肋を横に貫き、後詰木で支えている。各木材の接触面はほぞ木で密着させている

    拱肋の結束は桁巻金、および鎹(かすが)鉄で締め付けている。

    巻金は分格あたり2箇所で締め付け、巻金を打ち止めるため丸頭の鋲釘を打ち付けている。 巻金間や各木材間に1橋あたり3750個の鎹(かすがい)を打ち込んでいる

    拱肋の形状は、ほぼ放物線であり等分布荷重には有効である
  • 単ページ 8

  • 構造計算すると、1uあたり300kgの強度がある。拱肋に作用する水平断力には鞍木が有効に利いている。 肋木と鞍木は拱肋の緊結と剪断応力に耐える極めて有効に作用している。 横荷重に備えた拱肋に取り付けた振留木は、近代橋梁にもある

    拱肋の支え

    旧錦帯橋の拱肋(5列、11本せり出して半アーチを造る背骨のような構造物)の端は、橋脚躯体中心部に埋め込まれた隔石(石碑のような 大きな石で両端に拱肋の終端を受けている)まで延びており、この埋め込み部は常に湿気があるため腐食が早く、架け替えの時期を早めていた。
    再建工事では、これを改良するため橋脚躯体内部の心壁上部を約80cm突き出し、その面を拱軸線に直角となし、この面に鋳鉄製の支え金具を 設置し、拱肋の終端をこの金物に嵌めこみボルト締めにした。 この鋳鉄製の支え金具は底部に隙間を作り空気が流れて乾燥できる状態にしてある。

    欄干

    流失前の欄干は擬宝珠であった(江戸時代は身分制度が厳しく吉川6万石では付けられなかった格式のある欄干を大正年間の架け替えの時、 地元民の要望でとりつけた)。昭和26年1月27日、東京で開催された関係者30名による会議で、文化庁の意向で江戸時代どおりの質素な欄干に 戻すようにとの指導があった。 古い記録を調査した結果、時代により少し変化があるので、文部省文化財保護委員会の専門家会議の結果、享和年間の欄干様式に戻すこととした。
  • 単ページ 9

  • 橋材の防腐処理

    錦帯橋の橋材の腐食のため30年おきに橋を架け替えたが、これを延命するため木材に防腐処理を行うことにした。 木材に着色しないPentacblor Phenol.na円を使用する事にした。 防腐剤の注入は東洋木材防腐会社が請け負った。 木材は岩国から大阪に送り、防腐剤注入後岩国に送り返す工程が増えた。 使用した薬品は三井化学の5号P.C.PNatrium塩5%水溶液である。
  • 単ページ 10

  • 単ページ 11

TOP