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錦川の洪水で水浸しになった川原町
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諸国の大名が他藩を通るとき槍を倒して敬意を表わすという慣わしがあり、 これを守らすため横に伸びた松を植えて槍を倒さないと錦帯橋を通れない様にしたという説があります
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樹齢約300年と言われた槍倒しの松のありし日の姿
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江戸時代、洪水で流れなかったのは錦帯橋だけです
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錦川の洪水で横山が水浸しになった
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元岩国藩士で東芝創設者、藤岡市助が開通させた路面電車
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八幡神社前の路面電車停留所。岩国は京都についで2番目に路面電車が開通した
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魚町警護団
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市内の葬儀
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横山にある岩国中学校、後に岩国高校
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当時としては珍しい洋館
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大明小路横の錦座、大正13年より錦帯劇場。昭和47年スーパになった
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藤岡市助が開通した電気で、錦帯橋に街灯を点灯
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明治〜大正時代の岩国
約100年前の岩国町です。今は無くなった寿座や藤岡市助の路面電車が写ってます。
岩国高校は当時、横山にあり、冬は山から寒い風が吹き降ろし凍えるようでした。
また、樹齢約300年槍倒しの老松、晩年の有りし日の姿です。